三月十一日以後

 三月十一日の大災害以後ホームページに書き入れる気力が無くなった。書けなくなったのではない、むしろ今まで以上に災害に対する思いを書いた。しかし書き上げたものが思いを表せず書き直し、又書き直しては掲載は止めてしまう事の連続で、今なお一つも掲載していない。政治家に対する憤り、東電、原子力安全委員に対する不信感、どのように書いても思いが表せず、私自身何もしないのに批評など出来ないだろうと考えてしまった。
 大災害後、憂鬱でテレビを見る気もせず、新聞も読む気がしないまま三ヶ月が過ぎてしまった。私の出来ることは救援金を集めることぐらいなので、精一杯の事はしたつもりだが空しさは拭えない。全国から集まるボランティアの若者たちには改めて頼もしく思い感激し、国家とも電力会社とも何の関係もない被災者に申し訳なさが募る毎日だった。
 皆精一杯復旧に頑張っているのだが、何処かで歯車が狂ってかみ合わなくなってしまったようだ。民主党政権になって間もないことも悲劇だったろうし、東電の首脳部も原子力委員も責任を背負う気構えの人物がいなかったことも悲劇だった。
 我々が出来ることは何なのだろうか、被害にあった人達だけが悲しみに耐え、我慢しなければならない現状、頑張って、支援します、などという言葉が空しく思えるばかだ。
私の思いとしては、復旧にだけ限定した累進課税を向こう十年間ぐらい課す事がせめてもの被害に会わなかった日本国民の出来ることではないかと思っている。

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