日本武道とスポーツ

 日本古来の武道の中でいち早く国際的な競技になったのは柔道である。卓越した指導者、嘉納冶五郎の教えを受けた講道館柔道の高段者達が世界各地に飛び出し、まさに身体を張った外国人との戦いに勝って、その存在を示し、やがて尊敬を受け、世界各地に柔道道場を設立したのである。そして、戦後の東京オリンピックを期に念願のオリンピック種目としてスポーツの仲間入りを果たしたのであった。
 日本古来の空手も世界的に認知され大きな組織となっているが、柔道と違って日本国内で一派に統一されていない為、ルールも統一されておらず、外国人から見た場合分かりにくい部分もあり、オリンピック種目としてはテコンドーに先を越されてしまった。
 剣道も限られた人達ではあるが、海外にその魅力にとりつかれた愛好家がおり、世界大会も盛大に行われている。
 武道は世界各国に存在し、民族文化として伝承されてきているが、スポーツとしてオリンピック種目になったのは柔道とテコンドーだけだろう。
 民族文化としての武道とスポーツとしての武道には大きく考えの開きがあり、どの競技でも先般の柔道の世界選手権で起こったような、判定に対する解釈の違いが度々起こるのである。オリンピック種目となれば、日本の国技とはいえ、世界の人々の競技であり、少なくとも国際審判員の下した判定は正しいのであり、あんなのは柔道では無い、などと言ってはいけないのである。
 空手にしても、剣道にしても、国際的な競技を目指すので有れば、日本の武道、心、礼儀、等に固執してはいけないのである。ルール内であれば、汚い勝ちなどということはないのであり、相撲でよくいう、はたくのは良くない、とか相撲に勝って勝負に負けた、などと言っても、世界には通用しないのである。
 日本の武道の多くは、優れた指導者によって裏打ちされた崇高な原理があって、そこには人間としての生き方や勝負に対する哲学がある。日本の各武道、各流派の目指すところが「道」を追求する事にあるのであれば、過大な普及やスポーツとしての大衆化など目指すべきではないと私は思うのだが。

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