戦後初の金メダル石井庄八

 今年の国体は千葉県で開催される。ヘルシンキオリンピックの戦後初の金メダリスト石井庄八選手は旧制千葉中学の出身である。予科練で終戦を迎え柔道も剣道もGHQに禁止され行き場のない鬱憤をレスリングに求めた石井選手は、中央大学に進みひたすらレスリングに邁進して僅か数年で世界の頂点に立ったのである。

 金メダルを取った石井選手は大学卒業後一転して一サラリーマンとなり、広告代理店電通に入社した。電通では猛烈社員として昼夜を問わず働き、やがて営業部長に昇進した。大会社電通の部長となった石井氏であるが、数年後何の未練もなく電通を退社し、株式会社「日庄」を設立し社長となり八面六臂の活躍でゼロから業界でも知られる立派な会社に築き上げた。1980年1月、50歳を僅かにすぎた年齢で癌におかされ最後まで気丈に病と闘ったが及ばず、短いが激しい充実した生涯を終えた。

 石井庄八氏はヘルシンキオリンピック優勝の帰り日本レスリング選手団と共にパリに立ち寄り、オリンピックの実況放送のためNHKより派遣されパリで急死した名アナウンサー和田信賢氏の遺骨を持って八田会長とともに帰国した。和田信賢アナウンサーは終戦の天皇の玉音放送の司会をしたことでも知られた人物であり、当時の人気ラジオ放送「話の泉」の司会者としても有名であった。

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