関西の指導者相次いで鬼籍に

 昨年は関西レスリング界をリードしてきた先輩達が相次いで亡くなられた。同志社OBの岩野さん、高橋さん、関大OBの押立さん、いずれも関西レスリング界を引っ張ってきた先覚者達だ。

 岩野さんは同志社大学教授の傍ら関西学生連盟会長を務め、その温厚な人柄から関東のレスリング関係者にも知古が多く、(財)日本レスリング協会の理事として、審判として長く活躍された。 私も高校時代、大学時代、岩野さんのホイッスルで何度か試合をした記憶がある。

 高橋さんは大学卒業後タイガーシューズの鬼塚社に入社し、鬼塚社長を仕えた。後に鬼塚社は合併し、一部上場(株)アシックスとなり、高橋氏は社長に就任された。アシックス社の高橋氏はレスリング協会に対してなにかと支援を下さり、現在のレスリング協会とアシックス社との関係を築いた。

 押立さんはレスリング関係者なら誰でも知っている情熱の名物指導者である。70歳過ぎてもマットに上がり、無敵の吹田少年レスリングクラブを育て上げた。押立さんの活躍は関西にとどまらず、(財)日本レスリング協会副会長、全国少年レスング連盟会長にも就任し、まさにレスリング人生を亡くなるまで全うされた。

 関西レスリング界は戦後は多くの名選手を輩出したが、1960年代から関東に大きく後れを取ってしまった。しかし1980年代に入り、押立氏等の少年レスレーの指導が実り次第にレスリングの強豪高校が関西に輩出し、今や関西は高校のレスリング王国となった。

 現在、私が親しくしている関西の先輩は関大OBの西脇義隆さんだけとなった。西脇さんは昭和34四年に米国に遠征し、全米選手権でフリーで優勝しグレコで2位になった名選手である。西脇さんは実に謙虚な人で、全国大会には吹田クラブの一指導者として参加され、子供達の為に黙々と世話を焼いている姿が印象的である。
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