東京オリンピック

 私達が目指した東京オリンピックから50年、再び東京でオリンピックが開催されるかもしれない。2016年のオリンピックの最終開催候補に東京都がIOCから選出された。最終候補四都市の中で、東京都は全ての条件を満たしている有力候補である。万難を排し是非東京オリンピックを実現したいものである。
 改めて日本レスリング史上最高の戦績を残した1964年の東京オリンピックを検証してみよう。東京オリンピック大会が決定して以来、日本レスリング協会は八田会長を頂点に20人にも及ぶコーチングスタッフを編成し、候補選手を一堂に集め長期合宿に入った。当時の金メダル本命はフリーフェザー級渡辺長武、フリーライト級堀内岩雄、グレコバンタム級市口政光、この三人の世界チャンピオンの金メダルを何としても死守して、更に一つ二つ金メダルを上積みしたいと考えていた。コーチングスタッフは風間栄一監督、笹原フリーヘッドコーチ、笠原グレコヘッド、以下二十人にも及ぶコーチングスタッフで、協会は総力を挙げてオリンピックに臨んだ。結果、金メダルを取ったのは、渡辺、市口、上武、吉田、花原の五個、銅メダルは堀内の一個、入賞二名という大勝利であった。
 この東京大会で築き上げたレスリング日本の遺産は、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、ロスアンゼルス、ソウルと引き継がれていったが、次第に低落して行き、日本の経済大国化が進むに反比例して、低迷期に入っていってしまった。男子金メダルはソウル大会のフリー小林、佐藤の両選手を最後に途絶えてしまった。しかしメダル獲得だけはその後の大会も死守し、戦後のオリンピック参加競技で唯一メダルの途切れない競技団体として頑張っている。
 そして前回のアテネ大会から日本のお家芸女子レスリング競技が正式種目となり、四階級全員メダル獲得という快挙を成し遂げた。金メダルを吉田沙保里、伊調馨の両選手が再び日本に持ち帰ったのである。北京大会でも日本レスリングは金メダルを三個は取るだろうし、ロンドン大会でも間違いなくメダルは取れるであろう。そして来るべき東京オリンピックでは1964年の東京大会を上まわる成績をあげなくてはならないのである。
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