慶応大学レスリング部創設者菊間寅雄氏

 菊間さんは昭和8年慶応大学学生時代は陸上部の選手であったが、レスリングに魅せられ、早稲田大学レスリング部に教えを請い、慶応大学レスリング部を創設した人である。選手としては1935年欧州遠征、1938年フィリピン遠征の主将として活躍した戦前の名選手である。戦後はいち早くレスリングの再開に尽力し、各大学のレスリング部復活に貢献し、大学レスリングリーグ戦復活の為、慶応大学永沢邦男教授を会長にして、東日学生本レスリング連盟を設立した。昭和25年、全日本ウエルター級のチャンピオンになり、慶応大学監督としても、川本晴紀、北野祐秀、別当の3名の米国遠征代表選手を育てあげた。
 菊間氏のレスリング対する情熱は母校だけにとどまらず、中央大学の松江喜久弥氏にレスリングの手ほどきをし、松江氏の中央大学レスリング部創立に助力するなど東日本大学のリーダーであった。その後、新興勢力中央大学は早慶を抜き学生レスリング界の頂点に立ったが、菊間氏が度々中大を訪れて指導したことはあまり知られてない。
 菊間氏は40歳近くになってもレスリング選手として活躍し、レスリングを続けるために1日50本吸っていたタバコを止めたことは有名である。この禁煙は慶応全部員に命じられ、禁煙を破ったものは除名にすると厳命した。
 その後レスリング協会の理事長を務めた菊間氏は、協会運営で八田一朗会長と意見が分かれ、レスリング協会からは遠ざかったが、八田一朗会長の参議院選挙出馬のおり、私が秘書をしていた選挙事務所に数万円のお金を届けてくださり、大したことは出来ないが、身の回りだけはしっかりと固めておく、と言って帰られたことが印象的だった。
 八田会長に報告すると、ただ一言、「有難い」と言った。
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