西脇義隆米国遠征記2

 ニューヨークでは名門ニューヨーク・アスレティック・クラブのホテルに一週間滞在した。セントラルパークの南側にある、歴史のある格調高いアスレチィッククラブだ。クラブの会員になるには厳しい審査があり、現在日本人の会員はロッキー青木氏と中村文昭氏だけだ。

 ニューヨーク滞在中、八田会長に連れられてマジソン・スクエア・ガーデンにプロレスを見に行った。時のスターは、裸足の跳び蹴りで有名なアントニオ、ロッカだった。
 試合の途中、我々はリングの中央に上げられ日本のアマチュアレスラーと紹介された。リングから見た館内は驚くほど広く、最上段の観客席はかすんで見えた。
 試合後会長に連れられて、ロッカールームに入れて貰った。シャワーを浴びて出てきたアントニオ・ロッカ選手は私の名前を書いてサインをしてくれた。
 八田会長の米国で顔の利くのにはまったく驚いてしまうばかりだ。次の日、八田会長に私はブロードウェーの小綺麗なレストランに連れて行っていただいた。四人がけのテーブルに会長と初老の背の高い眼光鋭い鼻筋の曲がったアメリカ人とで座った。会長は私に言った。「彼は誰だか分かるか、ジャック・デンプシーだよ。米国ではベーブ・ルースと同じくらい有名なの男だよ。」ボクシング元ヘビー級の世界チャンピオン、ジャックデンプシーだった。デンプシーは、引退後ブロードウェーの一等地にレストランを持ち、経営者としても成功している数少ない元チャンピオンだった。デンプシーは若い私に丁寧に接してくれて、珍しいボクシングのポストカードにサインをしてくれた。

 1959年といえば日本は敗戦の混乱から立ち直ったとはいえ、国際的には欧米と対等につき合えるような時期ではなかった。そんなとき米国何処に行っても、一流米国人が敬意を払って接してくる。私たちは八田会長を誇らしく思い、心から敬愛した。

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