戦前のオリンピック大会

 日本のレスリングのオリンピック初登場は第8回パリ大会である。当時ペンシルバニア大学の学生であった内藤克俊選手がフリー フェザー級で三位に入賞したのである。内藤選手はペンシルバニア大学のレスリング部のキャプテンを務めたほどの選手で、負傷しながらも銅メダルを獲得した。
 第9回アムステルダム大会には柔道の新免伊助六段が出場したが惨敗した。
 第10回ロスアンゼルス大会は当時は、講道館レスリングと全日本レスリング協会と庄司彦雄氏率いる協会と三団体が激しく争ったが、体協の調停で各団体二人づつ派遣する形で決着し、小谷澄之、吉田四一、加瀬清、八田一朗、河野芳男、宮崎米一という柔道高段者を派遣したが惨敗。柔道の高段者でもレスリングは勝てない事を証明した大会でもあった。
 11回ベルリン大会は、風間栄一、水谷光三、丹波幸次郎が出場し、風間が5位、水谷が6位に入賞した。柔道選手ではない、日本レスリング選手のオリンピック参加であった。
 1939年以後、日支事変、太平洋戦争に突入し、日本においては外来競技であるレスリングは練習すら出来ない時代になっていった。
 第二次大戦後のオリンピック大会はロンドンであったが、日本は敗戦国として国際舞台に復帰しておらず、出場できなかった。
 戦後初めて日本が参加したのがヘルシンキオリンピック大会である。ヘルシンキでは日本選手団が獲得した金メダルは一つだけであったが、その金メダルはレスリング・バンタム級の石井庄八選手であった。
 以後、我が(財)レスリング協会はアテネオリンピックに至るまで途切れることなくメダルを取り続けている。来年の北京大会では金メダルを含む8個のメダル獲得を目標としている。
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