マスコミの怖さと責任
 
 我々国民が様々な問題を判断するとき、マスコミの報道に大きく影響を受けてしまう。若の花、貴の花、どっちの言い分が正しいのか、報道によりあっちがよく見えたり、こっちがよく見えたりする。JRの事故はもとより、JALの事故もANAの不始末も、全てマスコミから情報によって、国民は怒ったり、悲しんだり、怖がったりしている。
 JRの事故で新聞記者があたかも被害者の代表のごとくJR幹部を罵り、逆に世間の顰蹙をかったことはまだ記憶に新しい。私から見れば、JR側はじめ、逃げ場の無いものをあそこまで追い詰める事はないと思う。
 最近のマスコミは会社の考え方に沿って視聴者を誘導しているとさえ思える。大阪柏原市の地方紙は市長から買収されて選挙の対立候補の誹謗記事を掲載いしたという。ここまで来ればなにをかいわんやであるが、最近のマスコミは本当にどうかしている。
 NHKと朝日新聞の問題もお互い口をつぐんでしまった。NHKに対して政治家の干渉はあったのだが、朝日の記事は通報者によるいい加減の情報だったので、両社ともボロが出ぬうちにしらんふり、というところではないか。
 先日、韓国に行って親日家の韓国の友人と話したが、靖国神社や竹島のことは政治の問題だから何とも言わないが、領海侵犯した船長を棍棒で殴るとは酷すぎるのではないか、と言われた。全くそんなことはないと私は否定しても、韓国の新聞は船長の嘘の証言をそのまま載せている。韓国国民は、日本海上保安員が領海を侵犯した韓国の船を捕まえて船長を拘束して棍棒でめった打ちにした、との報道を信じているという。
 「絶対に殴っていない、殴ったのなら傷があるはずだし、韓国側が黙っているわけはないだろう」と私が言うと、友人は、そうかも知れないが韓国人はあの事件で大変プライドを傷つけられた、と言っていた。
 報道は一度センセ−ショナルに記事を掲載すれば、うち消しにくいことを充分承知の上で、記事を掲載することもあるようだ。中国問題、韓国問題、どれを取ってもお互い難しい問題なのだから、マスコミは火に油を注ぐようなことだけは謹んで欲しい。
 
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