陳さん、東京においでよ
 
 陳さんは台湾の商社マンである。1980年代私がイタリアのニット機器メーカーCOLOSIO社
の日本の代理店をしていた時知り合った。陳さんは台湾の代理店であった。陳さんは私より五つ年下で体型も似ていて、二人は兄弟と言われた。その後二人は商権を捜して世界中を歩き廻り、業界ではその素早い対応と度胸の良さで有名になり、陳さんはイタリアのオマテック社の機械販売世界一にもなった。私は1990年代になり商売の場を台湾に移し日本の機械を台湾にずいぶん売った。陳さんとは兄弟以上に信頼し合い、数千万円の契約も電話一つですますと言うように、人には真似の出来ない素早さで他の追従を許さなかった。 陳さんは人の接待が大好きだった。日本人で陳さんに世話になった人は数え切れないほど居る。台湾料理をご馳走し、美味しいと誉められることが何より好きだった。
 その陳さんがおかしくなった。支払いが滞るようになった。陳さん支払いは、と催促すると、シュミマセェン、明日、明日、と言って、支払はない。台湾に行って話し合ってもなかなからちがあかない。こんな男では無かったのにどうしたのだろう。あの人なっこい顔を見るとつい許してしまう。その陳さんが台湾からいなくなった。ベトナムに逃げたという噂を聞いた。ここに至った訳はこう言うことであった。陳さんの実家は資産家であった。その家長である父親が亡くなり兄弟七人で遺産を分けることとなった。1人二億円にもなり、陳さんの奥さんはその遺産をあてにしてマンションを何戸も買ってしまった。その直後バブルがはじけマンション価格は半分以下になった。相続すべく遺産は兄弟の話し合いが付かず手にすることが出来ない。支払いは滞り金利はかさみ、マンションを売るに売れず、困り果てた陳さんは奥さんと別れてベトナムに逃げたそうだ。悲しいね陳さん。残念だね陳さん。台湾で信頼を失ったのだからベトナムでも商売は無理だよ。私の支払いはもういらないよ。東京においでよ。生活することぐらい何とかなるさ。陳さんの好きな牛丼も安くなったよ。
 
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