控え目の主張

 北朝鮮の拉致被害者で横田めぐみちゃんの母親、早紀江さんの米国公聴会での証言とブッシュ大統領との会見の態度は、控えめで毅然としてまさに凛として人々に感動と共感を与えた。米国のイラク派兵戦死者代表の母親ジュディ・シーハンさんの反戦行動も静かで冷静だが多くの米国市民の支持を得ている。テレビの発達で気の毒な被害者が怒りや不満をぶちまける場面が放映されるが、あまりの怒りの激しさに同情が薄れてしまうことも良くある。
 アジアには悲しみをオーバーに表現する風習がある。葬儀の泣き女などはその例であるが、ゲリラの被害者に送られた大統領からの弔問の花束をちぎって投げ捨てた場面を見て、あまりの激しさに驚いたことがある。
 同情とはその残念で気の毒な事実に心の底から湧いてくる感情である、同情してくれと言われても、理屈はそうであっても同情出来ないものは出来ないのである。私の親戚で耐震偽装の被害者になった男がいる。被害者代表としてテレビのインタビューで、我々個人の問題を皆様にご支援いただき恐縮です。我々も本当に困っております、何とかご支援いただければと、全く控えめに話していた。ずいぶん控えめだね、と言ったら、事件の当初被害者の怒りをぶちまけた場面が放送され、逆にマンションを買った本人の責任はどうなんだと世間の批判を浴び本当に参った。今は出来るだけ控えめに我々の立場を理解してもらえるように努めていると言っていた。

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