ゼロに戻る

 先日、福田会長から呼ばれて、「今泉さんアテネではどんな場合でも失敗は出来ない。その為に我々協会の中心にいる者は、何をしなければならないのか、もう一度二人で考えてみよう。今日は我が家に泊まってくれ、真剣に話し合ってみよう。」と誘われ福田邸に一泊してとことん話し合った。
 オリンピックコーチ陣の編成、支援コーチの選出、コーチ陣の団結の問題、選手選考、チームの意識の高揚、練習と休養の問題。何時間経っても尽きない話し合いだった。そして最後に会長が、「今泉さん我々は冷静にゼロの心境に戻る必要があると思う。今日泊まって貰ったのはもう一つ意味があったのだ。どうにも気になることがあるので明朝つきあってほしい。」と言って目覚ましを四時半にかけて寝ることにした。
 早朝5時、福田会長に連れて行かれたところは京王線明大前駅であった。まだ真っ暗な駅周辺を清掃している集団があった。そのリーダーと思われる人は、福田会長の気になる人であり、私も良く知っている人であった。気になる人は黙々と学生が汚した反吐を整理し、捨て散らかされたたばこの吸い殻を丹念に掃いていた。私と会長も持参した箒でその中に入った行ったが、始めはなんと行儀の悪い若者どもめ、と思っていたが、作業に没頭してゆくにつれ次第に何も考えなくなり、ただ街が綺麗になって行くことに集中してゆく心境になっていった。駅周辺が綺麗になると、気になる御仁は皆の集めたゴミを受け取りまとめて持ち帰っていった。当然福田会長も私のことも知っていると思われるが、一言も発しなかった。
 「会長、これは修行だな。人にしてやる、してやっているなどと思っているうちは駄目だな。」と私が言うと、「今泉さん、何はともあれ我々は、選手の為に何が出来るか、どうしたら選手の持てる最大の力を発揮させられるか、ゼロに戻って考えて見ようよ。」と会長は言った。
 六時に近くなったが辺りはまだ真っ暗、満月の月が青くかがやいていた。
 
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