サンダー杉山死す

 サンダー杉山が死んだ。もう駄目だと言われてからも明るく生きて、糖尿病で両足を切断した不自由な身体でも、社長としての職務をまっとうしていたそうだ。私は常に杉山を心配していた。明大同級生の岩室好純の話を聞くと、最後まで諦めず立派な人生だったそうだ。
 新潟県糸魚川出身の杉山は、私と同い年の昭和十四年生まれだが、柔道選手として同志社大学で一年過ごしその後、明治大学レスリング部に転向してきたので、学年は私より一つ下になる。当時は高校柔道で有名だった杉山がレスリングに転向したので話題になった。私が中大三年、杉山が明大二年の時、明大岩室、立教大森本等と、米国遠征をしたのは昭和三十六年の事だ。当時は詰め襟の学生服の胸に日の丸を付けて、四十数日間にわたり米国大陸をバスで横断する長い遠征だったので、楽しいことも苦しいことも分かち合う仲になった。杉山はいつも明るくあの人なつっこい笑顔で、米国人達とも接するので、誰ともすぐに仲良くなった。その後、杉山は順調に実力を付けてゆき、東京オリンピックの代表選手となった。杉山は体格からは考えられないほど器用で、頭の良い男だった。
 プロレス転向後もタレントとしても活躍し、実業家としても立派な会社を築き上げた。彼はある種の天才だろう。金儲けが上手く、経済の動向を常に読み、全てに長けた男だった。晩年は不自由な身体で頑張って、さぞ辛かっただろう。安らかにお眠り下さい。  合掌
 
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