プロレスと誤解されていたアマレス
 
 最近は、レスリング(アマレス)をプロレスと混同している人は少なくなってきたようですが、比較的最近まで、同じものと考えている人がかなりおりました。今、少年レスリングの歴史を色々と調べていますが、昭和40年代のことを見ますと、多くの場合、普及の障害になったのが、プロレスとの混同でした。
 「あんな野蛮なものはうちの子にさせるわけにはいかない」
 「いや、そういうんじゃないんですよ」
 「駄目だ!あんな凶器を使うようなことはさせん!!」

こんな会話は当たり前の状況でした。いくら東京オリンピックで金メダルをとっても、世間の認識はそんなものでした。オリンピック後でもこの様な状況でしたから、日本レスリング創成期には、本当に様々な誤解があったようです。

 前にご紹介した日本レスリングの創始者というべき庄司彦雄は、プロレスラーとの対戦経験もあり、大正〜昭和初期のアメリカ留学中には当時のプロレスに魅せられた人物でした。実際にプロレス界にもかなりコミットしており、当地の日系人社会では英雄的存在だったようです。そして、帰国後、八田会長等を誘って早稲田大レスリング部を創設するわけですが、彼のイメージは、明らかにプロレスのそれでした。部創設後に庄司が著した日本初のレスリング書籍は、プロレスの内容が満載です。彼の中では、基礎的技術はアマレス、さらに危険な技術も含めて相手を倒すのがプロレス、という認識のようです。いまでいう、総合格闘技のようなものですね。つまり、完全なプロ−アマの関係で見ていたのです。こんなレスリング観の違いもあり、1年も経たずに早大レスリング部のグループから抜けてしまいました。

 次にご紹介したいのは、昭和29年、日本で世界選手権が開催された時のことです。この時、大会記念切手が発売されました。日本が連合軍の占領から解放され、ようやく国際社会に出ていこうとする、まさにそんな復興期での開催だっただけに、この大会は、世間的にも注目されていたのだと思います。さて、その発売時、切手と一緒に一枚の封筒がセットになって販売されていました。その封筒が問題なのです。とにかく見てください。
 右上の切手の方はレッグホールドです。印はタックルです。言うまでもなくアマレスの技ですが、左側の封筒の方はトーホールド、完全なプロレスの技です。私はこれを初めてみたとき、愕然としました。なんと行政機関たる郵政省が世界選手権を前にこんな凡ミスを犯していたのです。おそらく、理解のないまま写真を探してきたのでしょうが、プロとアマの違いなど、まったく理解されていなかったのです。
 しかし、昭和29年といえば、2月に力道山が国内本格デビューを果たし、シャープ兄弟との戦いで世間を興奮の渦に巻き込んだ年です。この様な誤解はたとえ国家といえどもおこす要因があったのです。ちなみに、この写真は誰なのか。あるプロレスマニアの方に尋ねたところ、おそらく山口利夫だろう、とのお答えでした。まだ力道山が現れる前から木村政彦らと共にプロ柔道家として活躍し、この時期に全日本プロレス協会(今の全日本とは別組織)という団体を作った人物です。この年の2月には、山口もプロレスの興業を行っていので、おそらくこの時の試合の写真が何らかの形で手に入り、使用されていたのでは、という見解でした。もちろん山口は、アマレスとのつながりはありません。
 
 こんな時代を経て、今ようやく、レスリングとはオリンピックで行われているレスリングである、という認識が定着しつつあります。しかし、一方で、庄司さんが考えていたレスリングのあり方も、実は先見の明があったなあ、とも思います。今の時代にいたって、総合格闘技が流行し、レスリング協会でも、総合格闘技委員会を設置し、アマからプロへの橋渡しを積極的に行っています。そう、庄司さんの発想は、70年早かったのです。

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