子供たちの体育音痴問題を考える
 
 現代社会は、人間の代わりをするような様々な機器が開発され、望むなら、一人だけでも生きてゆけるような環境になりました。その反面、子供たちは、無気力で、身体を動かす事を嫌い、家で座りっぱなしと言う、子どもにとってもっとも危険な状態を強いられています。たとえスポーツをする少年にしても、指導者が居ないとなにも出来ない、のが現状です。
 一昔前までは、子供は、大人が居なくても、遊び、スポーツ、に熱中し、時間を費やして、子どもなりの団体としての秩序を作り上げてきましたが、今では、その多くの時間がテレビや、テレビゲーム、など全く個人の時間に費やされています。学校においても、机に座り放しで、勉強する子が、良い子だとされています。このような状態が、子供に悪影響を及ぼし、ゆがんだ人間を育ててしまうことは、ほとんどの人が気が付き、憂いているのですが、家庭でも、学校でも、手がつけられず放置されているのが現状です。そして親たちは自分の子どもだけは、大丈夫だと思っているのです。
 義務教育とは、学校において、青少年の総合的な心身を形成し、知識と、教養を、教え、社会生活を営めるための、礼儀を身につけさせるところのものであります。その観点に立てば、学校は、この問題を放置すべきでなく、積極的に、この深刻な問題に、対策を講じる必要があります。子供の身体は、運動することにより、発育し、徐々に強くなって行くのです。この問題を解決するために、明確な目的を持った運動を計画的に教育に取り入れていかなければなりません。
 まず第一に小学校時代に正しく学ばなければ、身につかない、基本的な基礎運動を学校教育のカリキュラムに組み込むべきでしょう。近代国家建設期において、世界各国は文盲撲滅に、国家を揚げて対処し、教育機関は国の隅々まで活躍し、成果を上げて参りました。
前転の出来ない、鉄棒の逆上がりの出来ない、子供たちの運動音痴問題も、それに匹敵するほど重要な問題です。文部省、学校を始め教育に携わる人たちは、この問題の重大さを認識し、教育界挙げて、真剣に取り組んむ課題であると、我々少年スポーツに携わる者は、考えるのです。

戻る