喧嘩考

 私は物心ついた頃から喧嘩ばかりしていた。6歳の時戦争が激しくなり埼玉県坂戸町に疎開したが、東京から来たということだけで近所の子供達に虐められたが、悪ガキ1人づつに仕返しをして1ヶ月後には悪ガキの頭になった。私が子供の頃の喧嘩は1対1だぞと言って挑むと相手が大勢いても、大勢でかかって来ることはなかった。集団で喧嘩する場合、強そうな奴を一人やっつけると二人目が掛かってくることは殆ど無かった、当時の子供達には喧嘩にも武士道があったようだ。
 小学校の5〜6年の頃は、めちゃくちゃな子で誰彼無く喧嘩し、上級生とも喧嘩をしたので酷い目にもあった。喧嘩でこてんぱんにやられると変な自信がつき、何時でも誰とでも喧嘩できる度胸がついていった。
 中学時代は野方警察にもその名を知られた喧嘩少年で、近所の中学に遠征して喧嘩して廻った。私は野方警察の少年柔道塾に通っていてかなり強かった。そんなこともあって顔なじみの刑事達は雄策が事件を起こさねば良いが、と私の母によく言っていたそうである。中学時代の私は朝6時には起き、大きな相手と喧嘩して一撃で伸してしまう技を毎日毎日研究していた。集団で喧嘩するときは私は何時も前に出て、一番大きな強そうな奴の前に立ち、かかってこいと言って相手を睨みながら近づき、相手が手を出す瞬間に頭突きか、向こうスネ蹴りで一発で伸してしまう。大きい奴を一発で伸してしまえば大抵喧嘩は終わってしまう。
 小さくて細い奴が俺がやると言って出てきたときは要注意だ。こういう相手は強く喧嘩馴れしているので骨が折れるので、話し合いで分かれるようにした。カッとなっての喧嘩は誰でもするが、場所と時間を決めて冷静に喧嘩をするのは実に度胸がいるもので、前の日から気持ちを集中して作戦を練ったものである。その後、私はレスリングに熱中して喧嘩もしなくなったが、この頃体験した喧嘩の度胸と駆け引きは、その後の私の人生であらゆる面で役に立っている。子供達が殴り合いの喧嘩をし、勝負がついてさばさばと分かれていった時代を懐かしく思うのは私だけだろうか。
 
戻る