子供の教育

 子供の成長は何より楽しみであるが、また苦しみでもあり、悩みでもある。子供がどんな人間に育つかは誰にも分からないことである。
 「あんなに可愛がったのに、私の全てを子育てに注いだのに、何でこんな事になってしまったのだろう。」私の友人の奥さんは、娘が名門女子高校を中退して家出したとき、半狂乱で私に訴えた。厳しく育てる、愛情を注ぐ、不自由させない、親がそう思っていても子供はそうは思っていなかったかも知れない。現代の複雑な社会では、親と子のギャップは想像以上のようだ
 私は教育者ではないので結論は言えないが、今まで少年レスリングに携わって来て色々な例を見てきた。そのうち、幾つか子育ての例を挙げてみたい。
 高校・中学・小学の3人の男の子を残して妻に死なれた友人がいる。彼は海外の仕事が多く3人の子供を亡くなった妻のおばあちゃんに預け、必死に働いた、うちに帰れば子供達に、片づけろ、勉強しろ、テレビの音を小さくしろ、と怒鳴りまくり雷親父で通した。その結果は3人とも大学をアルバイトをしながら卒業し立派な社会人になり、常に親父とおばあちゃんを心配する優しい男になった。友人は20歳過ぎたら大学の授業料だけは出すが小遣いは自分で稼げ、と一銭も与えなかったそうだ。3人とも立派な青年になったなと私が言ったら、女房が生きていたらこうは行かなかったかも知れないと笑っていた。
 ある少年レスリング選手は練習にいつも母親とおじいちゃんが付いてきた。父親がいないので強い男の子に育てたいのです、宜しく厳しくお願いします、と母親は懇願した、それならまず一人で練習に来させてください。と私は言ったのですが、付き添いは止めなかった。この子が東京都の大会で2回勝って3位に入った。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、保護者3人は子供を抱きしめて廻りもはばからず、良くやった良くやったと大泣きをしていた。後日、私はこの家族に食事に招待され、一人娘が離婚をし孫をつれて帰ってきたいきさつをおじいちゃんから聞いた。強い優しい男に育てたいと言う家族の願いに、私は、レスリングを続けさせること、子供に手をかけないこと、悪いことをしたら家から出すぐらいの厳しい気持ちが必要なことを、無責任にも言った。そして、ついに東京都の国体代表となり家族は一家を挙げて応援に行った。会社社長のおじいちゃんは、これほどの喜びは今までの私の人生になかった、と言った。彼は大学ではレスリング部には入らなかったが立派に育ち、今はNGOのメンバーとしてミャンマーで頑張っている。
 
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