白井義男氏の葬儀

 終戦後、敗戦で打ちひしがれた日本人に自信と夢を与えた男、ボクシングの元世界チャンピオン、白井義男氏の葬儀は日本聖公会、聖アンデレ教会で荘厳に行われました。多くの元世界チャンピオンをはじめ、各界から沢山の人達が参列しました。
 私も晩年の白井さんとは親交があり、その人柄に惹かれておりました。白井さんは昨年12月26日川崎の病院でご家族に見守られて、息を引き取られました。享年80歳でした。白井さんの経歴は誰もがが知っていると思いますが、簡単に説明しますと、白井さんは東京荒川区に生まれ、戦前からボクシングをやっておりましたが、応召で海軍に入り復員、戦後、再びボクシングを始めたそうです。子供の頃は弱虫で、身体も弱かったそうです。戦後再びボクシングを始めた白井さんは幸運にも、当時占領軍GHQの職員として来日していたアルビン・カーン博士の目に留まり、科学的なボクシングを叩き込まれ、近代ボクシングを身につけました。その後、順調に力をのばし、日本人として初めてプロボクシングのフライ級世界チャンピオンになり、その後、3回挑戦者を退け世界の王座に君臨しました。白井さんは引退後は後進の指導、そして評論家として活躍しました。
 白井さんはいつもきちっとした身なりをし謙虚でいつも礼儀正しい紳士でした。晩年の白井義男氏を先生と尊敬し常に立てていたのは具志堅用高氏でした。具志堅氏は白井具志堅ジムを作り、有望な新人を育て白井さんの考えである、そして具志堅氏の哲学である、打たせないボクシングを基本理念に選手を育てているのです。カーン博士の亡くなられたときの葬儀は同じ聖アデレ教会で、白井義男氏が葬儀委員長となられました。そして白井義男氏の葬儀は具志堅用行葬儀委員長のもとで聖アンデレ教会で行われました。私は白井、具志堅両氏と親交があり、二人の人柄には惹かれていました。白井義男という得難いスポーツ界の大先輩のご逝去はやむを得ないこととはいえ残念でたまりません。
 
戻る