別当選手の金メダル

 別当薫といえば戦後の野球界では慶応大学、プロ野球、阪神、毎日でスラッガーとして活躍して後には幾つもの球団の監督も歴任し名球会入りした野球人です。この別当選手の弟は慶応大学でレスリング選手として活躍した名選手で、1951年米国遠征にもライト級選手として参加しておりました。
 各地を転戦して選手団はカナダに近いブルウキングスという町で試合をしたときのことです。氷点下25度にもなる寒さの中、州立大学と対抗戦をしました。選手団は団長・八田一朗、慶応大・北野、中央大・鹿熊、慶応大・川本、明治大・霜鳥、そして慶応大・別当の学生チームでした。最終試合に登場した別当選手は激しく攻めまくったのですが、何の拍子か相手の手首が別当選手の股間に入り、弾みで大事な「金」が丸出しになってしまいました。別当選手はあわてて金をしまおうとしましたが、サポーターに挟まれて直ぐには入らず大慌て、観衆は一瞬静まりかえったが、別当のあわてた様子に大笑い、試合を続けるような状態ではなかったそうです。ブルウキングスには日本人は一人もおらず、町の人は第二次大戦で戦った日本人を見るのは初めてだったそうです。八田会長は酒を飲むと思い出し笑いをしながら、別当の金メダルは大きかったな、米国人も日本人は大したものだと驚いていたよ。とよく話しておりました。

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